プライバシー丸露出

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              おじさんの多病息災


基本台帳・・・・・・住所氏名学歴職歴受賞歴仕事歴・・・・・・

生まれ:1932年5月14日 70才  東京
血液型、カード暗証番号:  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
子ども3人孫4人

郵便連絡先:670−0806姫路市増位新町1−8−3−
※※※

昼間は殆どいない、夜も留守がちながら、一応ここに住んでいます。
宅急便は火木土午前にお願いします。
電話・Fax:0792−84− (オンナノクニハヨロヨロヨ)

メールアドレス: (メールアドレスは閉鎖:管理人ひろし)
ホームページ:

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お手数ですが、文字として写し取ってお使い下さい。

学歴
小学校:広島高師付属小学校1945年
     6年生から第2次大戦終戦前後中野区立鷺宮小学校(東京)
     群馬師範男子部付属小学校に短期間在学した。
中・高:都立6中、都立6高併設中学校、都立6高、都立新宿高校
           (名前が変わっただけ)
大学学部、修士:東京大学1951年入学55年学士、57年修士
          同博士コース58年中退

職歴:
1958 東京大学助手、東京天文台勤務
     65年講師、73年助教授、79年教授
1983: 東京天文台→国立天文台 改組 国立天文台教授
1993: 国立天文台定年退職、鹿児島大学教授  
      西はりま天文台公園公園長(非常勤嘱託)
1998: 鹿児島大学定年退職
      南但馬自然学校校長(非常勤嘱託)
      サイエンスツァー「兵庫は大きな博物館」代表
2002: 西はりま天文台公園顧問
2007: 同名誉顧問(きっと何か名誉)

役職など
天文月報編集長
国際天文学連合星間物質部会組織委員
   同     電波天文部会部会長
VLBI懇談会会長
オーストラリア国立電波天文台評議員 などを勤めた

受賞・名誉など
鹿児島大学、国立天文台、東京大学各名誉教授
輝北町輝北天球館(鹿児島)名誉館長
VLBI懇談会名誉会長
電子通信学会実用化業績賞、NASAグループ業績賞、仁科記念賞、
1988年長野県南佐久郡卓球大会50歳以上の部準優勝

仕事歴
世界中、時には地球をはみ出して色んな電波望遠鏡をつくった
日本中(徳島、福井はまだ)宇宙・地球・人類の話をして回る(人気あり)
森本おじさんのサイエンスツァー「ひょうごは大きな博物館」
子どもたちのお相手 福岡啓明館「TOS」 南但馬自然学校
  
など

性格
子どもの頃から「変わったこと」をするのが好き、世界中が「ふざけ」人間だったら
真面目なおじさんになったいた


おじさんの多病息災 

頭(外から中へ)

一番外側

どこが一番大切か知りませんが、洗ったり切ったり、一番手入れするのは髪でしょう。そして誰しも一番(?)気にするのは頭髪の減少です。

鹿児島に移ってすぐのテレビインタビュー(相手は太平華月さん)で、お得意の料理は?に対して、真ん中に鮭缶、まわりにわかめを敷いて、そこに千切りの大根をばらまく、ちょうどおじさんの頭みたいになる、あとお好みで二十日大根櫛切りなどで飾る、称して「森本禿サラダ」おいしそうでしょ。

父は20才頃故郷を離れるときに、田植え直後の田圃を見て「俺の頭と・・・・」と比較した、と思い出を語っていました。おじさん子供時代(父40才くらい?)まわりが残って真ん中が(かなりつやが出るくらいに)なくなっていました。

おじさんはそれよりは遅い程度ですが、同じ傾向です。鹿児島といえば60過ぎたばかりでまわりがわかめ大根サラダ程度ですからまだかなり残っていたと言うことになりますね。かなり元気だった頃の母が下の弟の息子茂樹君が「雅樹おじさんカツラ始めなきゃ」と言ったのを引き合いに出して「雅樹は兄弟の中では一番残っている」と言ったのを覚えています。

理髪は回数を減らすために半坊主にして、数ヶ月に一回行っていたのですが、あまり伸びると頭にカサブタが出るようになり、1ヶ月ごとになったのが、鹿児島時代(60過ぎ)でした。

というわけで今はいつも半坊主です。それで頭はおとなしかったのですが、ここ数年来(70チョッと過ぎから)頭の脂に生えるカビの分泌物のアレルギーで、発疹とかで赤くなって痒かったり乾燥肌(?)のボツボツが頭髪近くに出たりで、1ヶ月より長くなると頭が催促してくれるような状態です。、

頭の表面がピリピリするんです。

手で軽く触ったり、髪を引っ張ったりするとピリピリ感じます。髪の毛を触る程度ではしませんから、頭蓋より外、皮膚より内側(血管、神経等々が通ってい留部分?)だと思います。寝不足、眠気時に特に顕著です。

どこかの神経がどんな風にか「過敏」になっている、といった現象でしょうか?

頭蓋内部のいろいろ

xx年プラハに旅行中、夜トイレに行くときに足がもつれ、翌日一日言葉が(人からはわからない程度に)もたつきました。帰国後MRIをとったところ、顕著な出血痕がありました。その後、xx年、それよりもかなりひどい(一部の人が気がつく程度の)足のもつれと言葉のもたつきがあり、軽いバランスの失調が数日続きましたが、数日後のMRIでは出血痕も梗塞痕もありませんでした。軽い脳虚血とでも言うのでしょうか?その後この手の自覚症状はありません。

その他にも、2回ほど、(そんなに強度ではないのですが)飲酒中(あるいは後)に泥睡(昏睡?)状態に陥り、顔色もずいぶん悪く(土色という目撃談、一回は失禁)救急車のご厄介になりました。一回は「軽い急性アル中」もう一回は頸動脈の雑音などから「頸動脈狭窄」の診断でした。

 出血と梗塞の両方が起きると言うことは血液の側から言うと血液がさらさらしていると前者が起きやすく後者が起きにくい、逆の場合は反対で、何かやりにくいものらしいです。とにかく規模が大きかったり、場所が悪かったりすると死ぬんですからまぁそんなことが起きないように酒でも控えるんですかねぇ?

 外国での事件のMRI以後、降圧剤(ディオパン80mg1日一錠)をのんで血圧は135/70程度を維持しています。おもしろいことに、2〜3日忘れると、起床時150以上になります。

特有の間違い動作の修復(バイパス作り)

東京鷺宮の自宅一階のトイレのスイッチは縦3連で、上から順番にトイレ前廊下照明、トイレ換気扇、トイレ照明、となっていて、トイレにはいるときは一番下を押します。昨(2007)年後半のある日から、一番上(廊下照明)に手が行くようになりました。間違いに気付いて正しいスィッチを押すのは、廊下点灯で気が付く場合と自分の動作途中に自然に気付く場合とがあります。

この場合、@自然に間違った方に行く、A自然に正しい方に行く、Bどっちにしようかなと思う、の3通りがあると思われますが、Aがなくて、Bの場合は結論が出るより手が先に正しい方に行きます。

2008年5〜6月頃から正しい動作が帰って来はじめました。既に数10回ありますが、反射的にスィッチに手が行く場合は廊下照明で、正しい動作の場合は、「無意識下の意識」みたいなものが働いていることが多いようです。

東京の家に戻るのが時々で間隔、滞在期間もまちまち、そしてトイレに行く場合毎回きちんと意識するわけでもないし、きちんと意識すれば却って正しい観察にならない場合もありそうだし・・・・でも何かが脳で起きたことは間違いないでしょう。

70年代前半、漢字の偏と次の字の旁(つくり)がつながってしまう癖がつきそれが何ヶ月かしてだんだん治っていったことがありました。

神経系統の損傷のバイパス作りが「自分」の目の前で行われていくのを、手も足も出せないで見ている、なんて図でしょうか。

睡眠時無呼吸など睡眠障害

 学生時代から居眠りの多い方だったように思います。30代から日本に電波望遠鏡を作ろう、という運動に身を粉にするようになり、食事、睡眠、家事等々が荒っぽく犠牲にされていく生活が続きました。各地のパラボラアンテナに潜り込んでの観測、野辺山東京間に行き来の眠い中での運転などなどで睡眠が非常に不規則になっていきました。睡眠時無呼吸症になったのは多分40代後半からでしょうか?

 眠くなるとどこでもいつでも、そこそこ回復するための15分の仮眠ができるという特技は睡眠習慣を大きくゆがめてしまったと思います。

 C−PAPという装具で鼻から空気を入れて、睡眠時の無呼吸を防ぐ装置を使ってうまく防げているのですが、昼間の眠気は全く改善されていません。脳波で見ると、熟睡時間が2〜3時間程度で、無呼吸が防げても、睡眠習慣が改善されていないのだそうです。

(これってまだ頭蓋の中かな?)

中学のはじめ頃学校から「ロビンフッド」という映画を見に行ったときに近視に気付きました。もちろんそれより前からだったようです。40才くらいだったかと思いますが、近視の度数、乱視の角度などが変化しなくなりました。最近の眼鏡のレンズはプラスチック製で、傷が付いたりコーティングがはがれたり結果として汚れやすく、特に後述の網膜剥離、眼底出血とその予後は目やにが量、濃さともにひどくなってそれが眼鏡の汚れや痛みをひどくしています。「眼の条件が落ち着くまで」眼鏡を替えなかったりも手伝って、見えにくい眼鏡で過ごしてとっても不幸でした。

今年(2008年)たまたま通りかかった眼鏡屋さん(花北観望会中に通りかかり観望会、あとの飲み会にも付き合ってくれた)にこんな汚い傷だらけな眼鏡ではだめですよ、最近の眼鏡は傷も付きにくくなりましたよ・・・・・と口を極めて勧められ、「だまされたつもり」で替えてみたらどうしてとてもよく見えるしあまり汚れないし、とっても幸福になりました。

幸福ってこんなところにあったのか、なんて純情な人みたいな感想です。

網膜剥離(19xx年)眼底出血(19xx年)

剥離編

19XX年左目に網膜剥離が起きました。ちょうど鹿児島にいたときです。日本フィルのコンサートのことで鹿児島県副知事(吉留さん)にいろいろお願いしていたときです。眼の中に墨のようなものが細く何回か流れ、気がつくと左目視野の左下(網膜で言うと右上)に暗く視野の欠損が生じていました。

翌日姫路に戻って近くのこにし眼科(前に目が開けられないくらいひどく目やにが出るので見たもらった先生です)に行き、網膜剥離の診断でした。墨のようなものが流れ、視野の欠損が残る、これって名前だけは聞いていた「網膜剥離」に違いない、なんて思っていたのでその点では何となく満足感が残りました。

かなり剥離しているので、手術が必要、かつてご自分が医長をしておられた姫路日赤に紹介して頂き翌日早速みていただきました。ベッド、医師、手術装置等スケジュールの関係からか、翌々日入院、ということになりました。翌日はちょうど大分県天文協会設立30周年祝賀会の記念講演の約束があったのでおそるおそるお伺いを立てると、無造作に「いいですよ、でも左目を堅い突起などにぶっつけたりしないように」だそうで、立派な祝賀(宴)会を大いに楽しんできました。

伊丹経由で姫路に戻ると黒田さんが迎えてくださって、タクシーで日赤に直行、即入院です。手術には家族の立ち会い(承諾?)が必要とかで、ひろし(次男)も来てくれました。

ちょうど時を同じくハワイで、すばるに常駐の海部さん慰問をかねて麻雀大会の旅行(大分との関係はどうだったのか忘れましたが)の約束があり、そちらに主人に行ってもらっていたので、末っ子のご出馬になったわけです。結果として彼はお見舞い頂いた何人かの方と親しくお話し頂く機会を得ました。あとで「ご立派なご子息で・・・」といって頂いた方がありました。

 手術は全身麻酔、1〜2時間で済んだようです。手術室から帰ってくるのは覚えています。なんでも、剥離した部分に当てもの(棒?)を縫いつけて癒着させるそんなことだそうです。2〜3日はすごく痛く、絶対安静とかで寝返りも打てず、管を通して尿を排出したり、人間ドックと病人付き添い以外病院宿泊の経験のないおじさんからは何から何まで珍しいことだらけでした。

 何日かして眼帯が取れると、今までと変わりなく見えます。ただ、剥離部分周辺で直線が少しだけくにゃっと曲がって見えます。一杯伸ばした手の小指の長さくらい部分です。視野のじっと見つめた部分の左下です。見つめた部分と一緒に動きますが、全く不自由はありません。

 教育委員会の偉いさんのお見舞いには隣のベッドの患者さん(学校の先生だったんだそうです)が布団をかぶって静か、県高官(女性)から花束、上月町長が話し込んでいったり(お向かいのベッドの人がお知り合いでした)、しまいには明珍さんの火箸風鈴をロンドンで使いたいという富田勲さんと姫路で飲むから病院を抜け出してこないか(黒田さんにお願い)のお誘いなど百花繚乱、千差万別大いに楽しみました。

 あっそんなわけで10日あまり入院、8人の大部屋なので、部屋中(看護士さんたちも)の人気者になったり、途中少し痛みがとれはじめるとレーザーの照射(これがズシンと響く痛さ、人生観が変わるくらい痛いけれど瞬間だから我慢する暇もない、しかし情け容赦なく数十発打ち込まれる)なんてことが何回もあったり、毎食悲しくなる食事が毎回待ち遠しかったり、などなどでした。

 親切で働き者の病棟看護婦さんたちはとっても印象的でした。

 全身麻酔の手術、10日以上の入院、お見舞いがあったり、大部屋の人気者になったり痛かったり退屈だったりの大騒ぎにしては後は直線がちょっとぐにゃっとするだけでした。

出血編

 その目のその場所すぐ近くから眼底出血が起きたのは2年ほどあとの夏でした。岩手県は気仙郡住田町種山が原の星祭り、宮沢賢治ゆかりの種山が原に全国から申し込みで、1000人あまりが昼過ぎからテントを張り、一晩話したり歌ったり議論したり食べたり飲んだり眠ったり過ごすのです。レピーターと言うよりは常連も何割か発生し、ホントに楽しいのです。

 その土地の風だか何だかのご都合か、ほとんど毎回曇り、時にはテントが流されるくらい雨が降るのです。「種山が原にゃ雨ゃ降るぅ〜〜」なんて賢治の歌にあるとおりなんです。それでも人は減らず10数年続きました。

 そんなある年の一晩泊まった朝です。閉会式を終わって、帰ろうかというわけで見送りの車に乗り、運転手さんを待っていると、眼の中にものすごいものが湧き始めました。飛蚊(ひぶん)って知っています?眼の中で飛び交うかすかな糸くずみたいなもの、あの糸くずを中くらいの真っ黒い蛇にしたようなものが左目視野の左下から上に向かって次々に何本も湧き上がり、5分(?)ほどで何も見えなくなっちゃいました。痛くも痒くも何ともないんです。眼に見える、Bっ栗以外何でもないんです。

 これって(名前だけきいている)眼底出血に違いない、と思いました。眼のカメラ部分の故障って、素人の耳学問程度でこんなにハッキリわかっちゃうものか、この前の網膜剥離と組み合わせてとっても印象的でした。

 一眠りしてから近くをドライブ旅行、なんて計画していましたが、眼科のある病院を求めて住田、大船渡とドライブ、結局診察だけで花巻経由空路姫路に戻りました。翌月曜日、またまた小西眼科経由で姫路日赤へ。

 日赤では医長さんは小西先生の次の方(網膜剥離の手術をしてもらった)からそのまた次(梅津先生)に変わっていました。建物は超新しく(前の建てものは昔の姫路県庁が一部残っていたとか?)診察手続きもスムース、待ち時間もあまりなく、診察も目薬で瞳孔を開いて眼鏡でのぞいて「ああ何も見えませんね」だって血液一杯で真っ暗なんですから・・・・・

 治療としては眼球内の物質代謝はゾル状とゲル状の部分がありとても遅く、自然の代謝で不透明物質が排除され見え始めるまでに最低2ヶ月かかる、それが待てなければパイプを刺して濁った部分を取り出す。先に掻き取る道具の付いた吸い取るパイプ(海底トンネルを掘り進む機械を小さくしたようなものらしい)水分を補給するパイプ、照明のためのファイバーの三つを入れてやるけれど、必ずしもうまく行く保証はない、なんてはなしでした。

 海底トンネル方式は臨場感のある画像が取れるならやってみる価値はあるかもしれませんが、自動車に乗れない点を除けば生活に不便はないので、しばらく左目失明状態で過ごすことにしました。

 日赤に行く前から気が付いていましたが、とってもおもしろいのです。電気スタンドを明るく照らしたベッドに仰向けに寝ると、それまで眼球の下の方(視野で言えば天井)にたまっていた血液(色の液体またはゾル)が網膜の方に降りてくるのが、視野ほとんど一杯の真っ赤な色に見えるんです。視野を上から真ん中まで降りるのに5〜6秒(目?測)かかります。

 日赤に行って超音波で見てもらうと、(液体の比重で音速が変わり反射が起きるのでしょう)かたまりが眼球の天井から後ろに降りてくるのが見えるんです。あっこれって、やっぱり仰向けで超音波を当てているんですけれど。

最初のうちは注意すると気が付く程度、1〜2週間目くらいからハッキリと、視野の周辺部分から光が入るのがわかり始め、ちょっとだけ見え始めます。このごろちょっとはやらなくなってきましたが、見ただけではごちゃごちゃのパターンが、両目で見ているとハッキリ立体写真が浮き出してくる画像がありましたね、あれがちゃんと立体に見えるんです。それも真ん中までです。視力を担当する脳が、周辺だけの両眼視のデータから、うまく使って中心部分の立体視まで創作(捏造?)しているのか、それとも左目もかすかに見えているのか、とっても不思議ですが、ともかく眼ってとってもサービス精神に満ちたコンピューターです。

現在、同じ小さな字を見るのに、右目で見える字を左目の場合半分くらいの距離まで近づかないとだめです。でもその視力で、運転免許の更新は余裕でパスしています。

もう一つの後遺症(眼鏡の光で触れましたが)目やには汚れにくい眼鏡にしたので、視力的にはずいぶん楽になりましたが、涙が半透明で見えにくかったりまぶしかったり、眼のまわりがしみて少し痛かったり、時には離れたところからも誰かが目やにに気が付いたり、があります。「この年なら目やには当たり前」と思ってもらえる年までは眼のまわりの「きれい」には気を付けなければ。

 

 おじさんの耳は立っていて普通より少し大きく、子供の頃はとっても目立ちました。大きいだけでなくちょっと薄く、それが原因か冬はいつもひどいしもやけに悩まされました。、それも出血してかさぶたになり、枕に付いた血が固まって、朝起きるときにはがれてまた血が出たりしました。小学校では質実剛健のため防寒具は禁止されていましたが、おじさんだけは耳当てが許可されていました。

 小学校6年に父の実家(群馬)疎開して冬を過ごしましたが(それまで温暖な広島で過ごした身には)半端でない寒さ、その上かなり長距離通学、耳のしもやけはどんなにひどかろうと思ったのですが、広島時代よりは却って軽く、びっくりしましした。その頃からしもやけになりにくい体になり始めていたのかもしれません。

 耳にはしもやけ以外にも「聞く」という重要な機能があります。

 

小学校で、図工の伊達先生から「森本君耳が動いているけれどどうしたの」と聞かれて、動くことに気付きました。

 

 

・歯・皮膚・肩こり首痛・指・


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