おじさんのサイエンスツァー「ひょうごは大きな博物館」
2006年6月17土〜18日加古川の水運と文化の歴史

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予告編 5月26日  忙しい下見
 いつまでも寒かった4月、5月になっても中々「初夏」感のある日が続かず、ついにもう「梅雨」らしい日がチラホラし始めたこの頃、思い立って加古川に下見に行ってきました。
 朝9時過ぎ、野里からJRで姫路乗り換え、加古川に向かいます。加古川駅は今回のツァーの目的である加古川の東岸にあるので、駅が近づくときに鉄橋を渡ります。川を挿んで両側に、煉瓦造りの工場が並んでいます。これは東岸、西岸のものの方がきれいで立派、多分こちらが現役ではないかと思うのですが、おじさんいつものドジで、これは西側の分です。
 加古川の駅から見学することになっているニッケの工場に電話をかけましたが、担当の課長さんが忙しくてダメ、すぐに出発する厄神行きに乗ります。本島はツァーの順序どおり中流の三ヶ村井堰から始めて加古川沿いに下がってこようと考えたのですが、加古川沿いに走る加古川線の接続のご都合でちょうど逆順になってしまいました。というわけで厄神で下りたら、ちょうど運良くタクシーがいて、先ず加古川大堰、そのすぐそばが太子岩(写真に写っている岩は違うらしい、とは運転手さん)、に行きました。
 その間にもいろいろ解説があります。一番印象的だったのは土手の上の道を走りながら後席の後ろ窓から見える小高い丘に、加古川がぶつかり、そこで進路を西にずらし、そのあたりが洪水でよく溢れたうんぬんのくだりです。ということは大堰の工事で加古川の流路を数百メートルずらせた、ということです。工事中に大雨が合ったらどうなるのでしょうね。まぁ、とにかく忙しく国包の渡しあとまで見てまわって厄神の駅に戻り、次の電車に滑り込みました。
次は滝野の加古川流域歴史民俗資料館です。ご記憶かもしれませんがこのツァーは去年9月に予定していたのですが、 6月に下見に来てこの資料館がリニューアルのため休館に入るということで急遽「人と自然の博物館」にしたのです。今日は資料館のリニューアル振りを検分、係りの方といろいろ打ち合わせをして、駅にとんぼ返り、次の電車に滑り込みました。
 闘龍灘は去年の下見の写真からおわかりのように、加古川をせき止めるかたい岩の割れ目を流れが削ってできた急流部分です。水運にとっては「随一の難所」、同じように陸路をふさぐのです。この15m近い木のはしごを渡して、人々が行き来するようになったのは1955年のこと、それまでは上流か下流の渡しに頼っていたのでしょう。数年前に行ったときは鉄の橋がついていて、観光客が渡れるようになっていましたが、台風の増水か何かで壊れていました。
下流から中流へ途中にはこんな風に浅瀬になってごつごつ岩が出ていたりします。高瀬舟が通れるように時代時代に、あるいは洪水の後など、そこをさらえて水路が確保されたそうです。
 加古川本流(佐治川)と篠山川の合流点です。ここに中世のいかだ場、舟町、取水堰などが集中していて、ツァーでは集合場所から先ずここに直行します。案内板にはツァーで計画している以外のものも出ていて、とてもわかりやすく、助かりました。
 川沿いに堰があって川に面して公園があります、船着場公園、そして堰が三ヶ村井堰を五ヶ村に拡大して1992年に完成した西方井堰の水です。横を魚道が通っていますが、鮎の姿は見えません。ツァーの頃は結構季節じゃないかなぁ?
 この堰は永徳3年(1383念、南北朝時代、永徳は北朝の元号)に「常堰」として認められた記録があったり、古くから使われていましたが、文久3年(1673年、江戸時代初期)大規模な井堰を作り、加古川水運の紛争を起こしたりしました。

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