退院御礼!
2010年4月26日無事退院しました。ご心配、お見舞い、いろいろご援助・・・ありがとうございました。現在試運転中、追々いろいろ動き始めます。4649
孫の祐芽、見舞いに持ってきてくれたコラージュです。お見舞いの方だけでなく、病院の人たちにまで評判でした。

(入院⇒手術⇒養生⇒退院)2乗=2ヶ月足らず。何年も闘病生活が続く人だっていますが、病院宿泊は検査と付き添い、に網膜剥離入院2回。この変な回り合わせの物語、追々に語りましょう。ご期待ください。

再び大変大変2010年4月5日
3月5日手術後自然学校に初出勤、そして翌6日
 診察してもらいに病院に行って見たら新しい剥離が発見されちゃったのです。当然手術、明日入院して明後日手術、だそうです。まぁ、いろいろ違いはありますが、要するにガスを入れて圧迫して、おとなしくなってガスが抜けるまで2wk程度待って退院、・・・・・・
いくつか助かった約束がこれで少なくとも2週間分消えちゃいました。関係の方々ごめんなさい。


3週遅れ緊急速報2010年3月11日網膜剥離で入院手術、30日退院。
自然学校里山イベント、兵庫星空ソムリエ認定式、同パーティー、世界天文年日本委員会・・・
どなどで家を空け、東京白鷺の我が家で寝ぼけ眼の朝、(3月10日)ゆっくり姫路に帰ろうかなぁ〜〜 
左眼の視野に欠損があるんです
 網膜剥離です。急ぎで姫路に帰り、近所のこにし眼科で見てもらって、紹介状をいただき翌(3月11日)早朝日赤病院眼科へ、でも結局はお昼頃になって「ベッドの空きがないので塚崎病院を紹介します」そこでまた待ったり手続きしたり午後3時5分前になって入院、「手術予定前3時間を切ったので食べてはいけません飲んではいけません」と宣告されては「お昼まだなんです」なんて言わせてもらえず、そうこうするうちに自然学校の橋口さん、天文台の黒田さん、東京から主人まで集まってもらって、見送られながら夕方7時70分手術室入りです。
 手術は下の解説で言えば、ガスを入れて圧迫する方法だそうです。
 始めの内はもやもやの中、影が動いたり道具が動いたりそのうちだんだんに「想像できるような」物が動き出し、大都市の地下に埋まっているだろうような太いパイプに視野一杯に散らかっているごみが吸い込まれたり、(あっそのパイプらしいものの先から光が出て、ズシィ〜〜んと痛いんです、きっと焼き切り用レーザーでしょう)ゴジラの頭くらいもありそうなラジオペンチのような道具が視野の端にある影を摘み取ろうとしたり(これもものすごく痛い!)、「アッこれ違うか」「こっちかな?」(?まで聞こえるんですよ)なんて言葉が行き交ったり、だからと言って、「いつも眠い病」のおじさんが眠ってしまう間もなく長いナが〜〜い、痛い痛ぁい後から聞けば1時間あまりのドラマが「さぁ森本さん終りですよごくろう様」になります。
 術後(特に麻酔覚めた後)の痛みは全くなく、痛かったのなんてもう記憶の中にしかありません。無事釈放されて夜10時ごろスッカリ冷めた夕(病院の名前は夕食ですがおじさんにしては朝6時半以来の遅すぎる昼)食のおいしかったこと。

 ここで網膜剥離のことを解説しましょう。
まず眼球の構造です。それって要するにカメラと同じ、前にレンズが付いていて目玉がカメラの箱、その中には目玉がつぶれないように透明な(半流動の)「硝子体(しょうしたい)」が詰っていてその後ろにフィルム(だかCCDだか)に当たる「網膜」があります。
 デジカメからパソコンに行くケーブルに当たる神経の束が脳につながっています。
 「網膜剥離」って、その網膜の後ろに水が入って剥がれる現象だそうです。その部分だけ外部に情報が出ないので視野の欠損が起こります。非常に特徴的な現象なので、10年前に経験した時も(全く初めて、名前だけしか知らなかった)「アッこれっていつか聞いた「網膜剥離」に違いないと考え、テキパキと行動が起こせました。
 手術には目玉の外側または内側から何かを押し付けて、剥がれた網膜を外壁にくっつけるの二通りあり、前回は前者(非常に痛いので全身麻酔を使う)、今回は後者(眼球内にガスを入れてその圧力で押し付ける)をすることになりました。
 実際の手順としては手術台に仰向け、眼球を開き、硝子体を除去(完全に除去しないと残った硝子体が変質して網膜に力がかかり再び剥離なんてことが起きる)硝子体の代わりにガスを入れ、封入、体液がガスと入れ代わるのを待ちます。
 今回は白内障(眼のレンズが曇る)が進んでいるので、これを人工レンズ(ただのレンズ?)に取り替える手術もやりました。
 術後は水の入った穴から剥がれないため(?)にうつ伏せに寝ることが必要で、そのため殆ど眠れない夜が2週間ほど続きます。まぁトニカク2週間過ぎて釈放されました。

2001年の網膜剥離発端は鹿児島県副知事室
 眼の中に糸くずみたいなものが飛びますよね(飛蚊というらしい)あれの大きいの、焚き火の灰が飛ぶみたいに黒い影が平リラっと飛んだんです。そしてその根元のあたりの視野に小さな欠損(これも黒っぽかった)が残りました。
 1月の20日頃と思います。折りしも日フィル公演が近づいていて、宣伝やらなにやらの支援などお願いしていたときでした。「これって、名前だけ聞いたことのある網膜剥離と違うかな?」なんて考えました。翌日姫路に帰り、ご近所のこにし眼科で見てもらって、姫路日赤病院に入院ということになりました。日赤ではベッドの空きがないので入院は2日後になるが・・・
 「実は明日明後日は大分に約束があって・・・・」「飛行機に乗るんですが気圧は?」「宴会もあるんですが???」に対して「それではXX時までには入院してください」になりました。
 実はもう一つ<実は・・・」があったんです。ときまさにハワ 

島県の副知事室だったなぁ〜)

そして2年経つと、2002年8月11日
 岩手県は気仙郡は住田町に種山が原という小高い高原があります。というよりも宮沢賢治が風の又三郎の物語を考えるなどしたところだそうですが、そこでスターウォッチングのお祭り町をあげてしようという企画が持ち上がり、おじさんにそのお祭りの看板になっていたのです。
 (それはそれでいろいろ話はあるのですが)ともかくそこで一晩泊まって朝の閉会式を終わり、おまつりはけんにじどうしゃにのってしゅっぱつをまっていたのですが・・・・