ツァー第1日目
言わずと知れた「息継ぎ井戸」、元禄の昔、「殿ご切腹」の知らせを夜を日に次いで早馬
でもたらした早水何とかさんが、城内に入るとき、ここで息を継いだという井戸。これが、
有名な赤穂上水道の入口にあると言うのはあまり知られていません。
赤穂は千種川の三角州、砂地で海水がしみ込み、いくら井戸を掘ってみ塩水です。千種
川上流から水を引いて上水道を作りました。姫路城を作った池田藩(?)です。市内各戸
に配水したのです。各戸配水は全国赤穂だけだったといいます。
市内全域に配水管を張り巡らし、枝分かれを作り、途中に枡を設けて不純物を除いたり、
総延長30kmと見積もられています。今から考えても大工事だったと想像できます。
それが徳川初期(1616?)なのだから恐れ入ります。
↑こんな太い焼き物の土管が至る所に埋め られている。 街中の水道システムの説明版⇒ |
排水路は市内いたる所、そしてもちろん城内まで及んでいます。百々呂裏(ももろうら?)
大枡跡は四角い枡の一辺だけ残っています。結構大きなものです。
右の写真は城内にめぐらされた枝水路のようで、かわらを使って上を伏せてあります。
城内にはいたるところ「水利用」のあとがあります。遺構を復元した城跡の大奥には「湯殿」
の標識が何ヶ所も見られます。浅野(そのあとの森?)だかの殿様がご夫人たちをとても大
切にしておられたことがわかります。そして右の写真は城屋敷内の坪庭です。ちゃんと水道
からの水がたたえられているのです。
そして極めつけは見事な城内庭園です。広い池に満々と水が。もちろん篭城の備えもあっ
てなのでしょうが。
赤穂藩の上水道システム、とても印象的でした。
赤穂城はおもしろい
四十七士特集
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