オーストラリア旅行2004  
                                         2個の肉眼彗星を求めて
ニート彗星と何とか彗星、2004年は2個の肉眼彗星が来るんだそうです。これって「見な
いわけに行かない」存在ではありませんか。なんて何となく考えていたら、大学で一緒の
三宅さんが「南十字星が見たい」とこのホームページの楽雅樹帖に「書き込み」してくれた
んです。「それなら5月、彗星が二つ見える」と返事しました。
間髪を入れず、「こんなツァーがありますよ」の書き込みまであり、最後には三宅夫人から
「これこれのツァーに申し込んだ」との書き込み、早速主人と便乗申込みをして、今回のツ
ァーとはなりました。

5月16日(日)  出発
機内食、機内飲み物、カンタスはどっちもまぁまぁでした。そしてシドニー着は早朝、なん
朝日が結構下から差し込むんです。1万メートル以上を飛んでいるなと感じさせられました。


5月17日(月)
行きがけの駄賃、シドニー観光
総勢16人の小さなツァーですが、添乗員が付きました。なんと、経費節約のため83歳の
社長さんが一緒してくださるんです。さらにビッ栗はこの社長さん陸軍士官学校卒業の元
陸軍中尉なんだって。終戦直後から海外ツァーを始めた超(の字がいくつも付きそうな)
ベテランです。でも、さすがは陸軍士官学校だけあって英語がチョッとヘタ、でもチャンと
通じさせちゃう「実戦派」です。


先ずオペラハウスに寄り、グルッとまわって入り江をはさんだ対岸からハーバーブリッジと
オペラハウスを眺めます。見たこともない鳥(こっちでは珍しくもない?)や遠くに旧シドニ
ー天文台の建物を見つけて悦に入ったりしました。


写真の順番くるっちゃいま舌が、(飲茶で腹ごしらえ)ともかく目的地に向け出発です。


と思ったらもう一つ、動物園にも行きました。

動物園はシドニー湾の北岸(中心街は南岸、ハーバーぶりっぎのたもと)、かなり急な
斜面ですが広い敷地を取っています。それで、シドニー湾の眺望にも優れています。
おじさんは一時、同じ北岸ですが、小さな入り江をはさんだ対岸のアパートに住んでい
たことがあり、朝になるとライオンの声を聞いたりしました。


5月17日(月)〜5月21日(土)  タガロング牧場に滞在

シドニーから3時間ほどバスに揺られてキャンベラまでの半道くらいで着いたのがタガロング
牧場です。オーストラリアでは珍しくもないのでしょうがとにかく広いんです。
この写真の左にちょっと見えている建物がわれわれみたいな人が来た時のラウンジやら食
堂、そしてその奥にご夫婦やら息子夫婦やらのおうちがありますが、それらはあんまり広く
ありません。ともかく敷地が広いんです。


われわれの泊まった部屋です。右の方にチョッとのぞいているのが2段ベッド、合計4人
泊まれる勘定ですが、そんな部屋が10あまり、2列あります。見えているドアはそちらと
の間のドアです。ここで約1週間暮らしました。


どこかからもらって(?)きたらしい古バスが何台かあり、それに乗っては牧場内を遊ん
でまわるんです。今日はむちをぱちんと鳴らすのを教わりました。できたのは大きな体の
飯山さん、それも殆ど教わらないで、です。


そのあと羊の毛刈り、ここでも飯山君は羊をひっくり返したり大活躍でした。



上の最初の写真の端っこに写っていた建物の続きがダイニング、キッチン、とこのラウンジ
です。ラウンジではいつも火が燃えていて、夜星を見に出かけたり、三々五々写真をとった
りの合間に温まったり、しゃべったり、酒を飲んだりしました。


ダイニングとお外での写真(おじさん殆ど着たきり雀)です。


ダイニングではおじさんの大先輩、有名な天文学者の高瀬文志郎さんが(中尉殿のお
友達、誘われて参加)を囲んで天文学のゼミなんかもありました。
特別にプリントなども用意されて熱演、質問もいっぱい出ました。


花も色々ありました。椿系の花は白から紅まで色々でした。日本の椿と同じような実が
なるそうです。左の白い小さな花は椿ではないと思いますが、どちらかと言えばお茶に
近いかな?なんて感じなので仲間に入れました。


季節でいえば南半球の5月は晩秋です。このつた以外にきれいな紅葉は見当たりません
でした。


いかにも「乾いた草原」といった針葉樹です。



キャンベラにワイルドさん訪問

1961年京都、太陽地球関係の大きな国際会議がありました。太陽電波研究の巨人
ワイルド氏にはじめて会いました。というよりは外人天文学者は初めてだったのです。
直径13mのパラボラアンテナを直径3kmの円周上に96台並べて太陽の電波の動画
像を取ろう、そんな計画を持って颯爽の登場でした。
まぁ、かなり頑張ってはいましたがはるかに遅れていた日本、その中のはるか無名の
駆け出しの(当時の)おじさん、勇敢にもワイルドしに色々質問しちゃったら、なぜかそ
れが痛いところをついちゃったのです。
なんて訳でおじさん翌年オーストラリアに渡り、この計画に参加することになりました。
設計と主要部分の試作の段階を2年間滞在し、個々の部分が完成する段階(3年後)
に戻ってきて全体の組み立て調整、最初の観測、開所式と飲み会、に立ち会って帰っ
てきたのです。詳しい話は後にして、そのワイルド氏が、今キャンベラに住んでいるの
です。このワイルド氏、ここ数年かなり弱ってきているらしく、今は娘さんご夫婦と暮らし
ているのです。
彗星を見る彗星を見る、といってはいましたが実はワイルド氏の顔が見たい、もこの旅
行の重要目的の一つだったのです。幸い、旅程の中にキャンベラ観光があり、それを
途中で降りてワイルド氏訪問、最後に合流なんてうまいことができちゃったのです。

足が悪い、目が見えない、という触れ込みでしたが、もちろんそれなりにかなり不自由
のようですが、それなりの援助、手元に虫眼鏡、などなどによって、まぁまぁ楽しそうに
暮らしておられます。「最近講演を頼まれて、マサキの話をして大笑いを取ったよ」なん
て自慢をしていただきました。


昼食はキャンベラを一望に見晴らすレッドヒルの回転レストラン。40年前に長男を連れて
きた時は水がたまり始めたばっかりの人工湖も今では素敵な水辺公園、大きな噴水、ま
割はたくさんの大きな樹が日陰を作り、大きな建物小さな建物がうまい具合にひしめいて
います。楽しく昔話、楽しく喰って飲んで、お互いに大げさにあるいは控えめに自慢話、そ
してワイルド家に戻ってコーヒー(おじさんはビール)を一杯、タクシーで再合流地点にもど
りました。おじさんだって年寄り、昔を思い出すのが一番の薬です。


Australian Tea Ceremony

人々が牛や羊を追って、野原を歩いていた頃のお茶をやってもらいました。空き缶とバケツ
の合いの子みたいな缶で紅茶を沸かし、ワッフル型みたいなものでパンを焼く、熱源は焚き
火、これがオーストラリアんティーセレモニーです。


パン(?)が焼けるまでかなりかかるのですが、その間神妙に待つ人(下の写真真中の
男性)、写真をとる人、(まさか仕事の話は出ませんでしたが)いろいろあって楽しめまし
た。セレモニーでも、堅苦しくはありませんでした。


さそりはのぼるさそりはこの地では殆ど真東から昇るんです。

彗星の写真はダメでしたが、さそり座は何とか「それとわかる」程度
には取ることができました。